Cigna kanto

何を残そうか

二刀流ポケモンGO --- iPad miniでのプレイが捗る

先々週、7月23日から九州へ行ってきました。熊本と福岡。


出発の前日、7月22日、一日遅れでリリースされたポケモンGOの話題で周囲が賑わっていました。個人的にはポケモン世代でもありませんし、日本より先行してリリースされた欧米からのニュースなど見て「面白いことを考えるもんだな」と思う程度でした。

それでも翌日からの旅、移動を考えると九州の名所などで、出会ったポケモン入りの画像を残すのは面白いかもな、とも思えてiPhoneへインストール。移動中の列車なので練習がてら操作をしてみました。

ま、娯楽のツボは押さえてますよね確かに。登場するポケモンの殆どは名前も知りませんけれど、キャラクターやアイテムの収集欲をそそる仕掛けはオーソドックスで単純ですし、主人公がリアルな自分という設定がこれほど簡単に脳内にインプットできるシチュエーション設定は中々無いのではないでしょうか。


ポケモンGOを利用するには「ポケモントレーナークラブ」というポケモンGO専用のアカウントを作成するか、Googleアカウントを持っている必要があって、自分の場合は利用頻度の低いGoogleアカウントで登録しました。

旅行当日、空港での待ち時間。到着後の熊本市内での行動を検討するためにiPad miniで地図検索していて、ふと

iPad版はあるのか?ポケモンGO」という疑問。

Apple Store で検索してみるとあったのでインストール。起動…

(ああ、このパターンか)

画面が表示されて直ぐにピンと来ました。Instagramと同じでiPad用アプリ開発はされておらず、縦表示固定のiPhone拡大表示版、ってパターンです。

画面はアカウント作成から進む訳ですが、私の場合すでにiPhone経由でGoogleアカウントを登録していますので、同じアカウントは使えるのだろうか?という疑問を抱きつつ既存のアカウントでログインしてみました。そしてログイン成功。

iPhoneと同じ内容、つまりアカウントが持っているトレーナーレベルや収集したポケモンなど全てを複数端末でも同じアカウントでログインすれば共有、共用することが可能であることが分かりました。

つまり私の場合、iPhoneで捕まえようがiPad miniで捕まえようが同じポケモンボックスへ溜まっていくということです。


(先日のポケモンGOのアップデート後、アカウント情報が初期化された!と騒いでいる方が見受けられますが、恐らく端末に複数のGoogleアカウントがセットされていて、別のアカウントでログインしてますね、それ。別アカを新規作成してる感じです、多分)

これ、色んな意味で可能性が有りますよね。

(ここでは詳しく触れません)

f:id:boozy:20160802160441j:plain

iPad mini の操作性と視認性メチャクチャいいです、ポケモンGO
画像は大きさを比べやすいように右横に液晶4.7インチの泥端末を置いてあります。iPadでは大きすぎる気がしますし、片手でグリップできるminiとの相性、もしかしたら最強かもしれません(笑)

TPOによってiPad miniポケモンGO、全然ありです。むしろ、iPad miniがメイン機でiPhoneがサブ機といった感じです私としては。


iPad miniポケモンGOを利用しようとする方むけの注意を少々。

セルラーモデル推奨(WifiモデルはGPSが付いていません。使えるという報告もあるようですが、恐らく不安定でしょう)

以下、アップルストアのコピペです(タブレットでの動作は非保証です)
■Pokemon GO対応環境:
iOS
対応OSバージョン:iOS 8 - 9
対応端末:iPhoneR 5/5c/5s/SE/6/6s/6 Plus/6s Plus
iPod touch第5世代以前、iPhone4S以前の端末は非対応です。
App Storeの互換性情報ではなく、Pokemon GO公式サイト記載の動作環境をご確認ください。
タブレット端末での動作は保証しておりません。
※すべての端末での動作を保証するわけではありません。

私の端末はiPad mini4 SIMフリー セルラーモデルです。


九州旅行の目的は震災後の熊本へ訪れて僅かながら支援できないものか、といっても地元の飲み屋さんにお金を落として美味しいモノを頂戴する程度、ということと、今年の年始から始めた朱印集めの旅が福岡の残すのみになっていたこと、この2点です。御朱印帳の全貌についてはまたいつか後日、折を見て記します。

天川村への道程

f:id:boozy:20160509161334j:plain今年の正月、突然に思い立った願掛けの旅も折り返しを迎えました。巡礼先に選定した弁天様と市杵島姫命にまつわる13社寺の中で一番の難所(交通の便が至極よろしくない)、天河大弁財天社へGW前半に赴きました。

目指す天川村奈良県の南部に在り、鉄道でのアクセスありません。奈良と言いながらも紀伊山地と言った方が的を得ていて、秘境として名高い十津川村や、世界遺産である大峯山が在るエリアになります。

一般的な交通案内で紹介されている路線バスの乗換も考えましたが、何時間かかるのか不明でしたし、往復その行程を取るのはしんどい感じでしたので、大阪に宿泊していた私は近鉄南大阪線橿原神宮前まで移動して、そこからレンタカーを借りることにしました。(天川村の最寄駅は下市口駅ですが、レンタカーはありません)

距離的には1時間程度(橿原から約40km)ですが、高地へ向かっての山道ですし、橿原市内で若干の渋滞もあり、いくつもの長いトンネルを抜けて2時間弱で現地に到着しました。

山間部の峡谷添いに小さく広がるのこの村は標高が800mほどあり、日差しの強い休日でしたけれど、とても涼しい場所でした。国道309号線以外の道は細く静かです。

f:id:boozy:20160509161350j:plain


天河大弁財天社は小さな里山(もしかすると人工かもしれない)の上に鎮座しています。少し面白い造りをしていて、鳥居をくぐり石段を上ると拝殿の正面ではなく左側に出ます。目を引くのは大きな舞台、舞台を持つ神社は少なくありませんが、拝殿を挟んで本殿正面に直線的に配置された造りは珍しいと思います(神様へ舞を奉じる位置としては絶好なのかもしれませんが)。

f:id:boozy:20160509161400j:plain

 

f:id:boozy:20160509161416j:plain

江戸時代までは弁財天を本尊とする寺院でもありましたが明治の神仏分離令によって廃寺、祭神市杵島姫命にして神社として存続することになります。前回おとずれた琵琶湖の宝厳寺と同様、明治政府の御達しがこの山深い天川村にも及んでいることに驚きもしますが、天河神社は奈良の吉野が近いこともあり南朝皇室との関係も少なからずあり、神社の裏には「南朝黒木御所跡」という歴史を感じる遺構が在ることから、頷けもします。

ここでは南朝天皇の御霊も祀られています。

御朱印を集める願掛け旅行を始めたことで、明治維新による神仏分離令によってそれまでの信仰文化ががらりと変わってしまったのだということを知りました。色々と見識を広げる度にふと「そもそも神と仏とは何ぞやか」という感覚にもなってきました。

 

f:id:boozy:20160509161430j:plain

明治がやってくる前まで、寺と神社は併存していて、正に神仏習合の信仰が日本のスタイルでした。面白いのは、仏法に帰依するような本格的な仏教との関わりというよりも、ヒンズー教とミックスされた仏神への崇敬が日本の民衆に広まったのは、古来からあったアニミズム的「八百万の神」が顕現したように思えたからではないでしょうか。江戸時代までは恐らく民衆の間では神も仏も大きな区別はなかったような気さえします。

今でも人気がある弁天や大黒天はヒンズー教の神ですし(ヒンズー教は釈迦をも取り込んでいます)、七福神のうち日本古来の神は恵比寿様だけです。ごちゃ混ぜ御利益も大歓迎の我が国の文化は今に始まったことではなく、綿々と古代から続いてきていると思います。

成立直後の明治政府神道の国教化もテーマとしていましたが頓挫しています。以前にも書きましたが、明治維新時に行われた文化統制は瞬間的には効力がありましたが、ことごとく失敗に終わるものの、政変の過熱感が残した文化的な傷跡は思いのほか大きいような気がしてなりません。

周遊券と廃寺を免れた弁天様

f:id:boozy:20160308113205j:plain

日吉大社には寄れなかったのですが、先々週の日曜、滋賀へ行ってきました。目的は琵琶湖に浮かぶ竹生島に在る宝厳寺(ほうごんじ)へのお参り。今年1年で巡礼しようと自分で決めた13寺社のうちの1つです。

竹生島への上陸は湖岸の街、彦根、長浜、今津の3カ所から出ている観光船に乗る必要があります。京都に泊っていた私は、日帰り旅行であることも考えて長浜からの渡船を選びました。長浜からの往復乗船料は3070円で、京都からのJR交通費を合わせると6000円弱の小旅行です。

---
JRや各私鉄などの輸送機関(キャリア)はエリアを決めて各種の企画乗車券を販売しています。その中にはキャリアの枠を越えて、数種の輸送機関に乗車・乗船できる企画乗車券もあります。電車+バス、電車+船といった具合です。関西ですと「スルッと関西」が有名。

琵琶湖への小旅行に向けて、何か適用できる割引切符や周遊券が無いものか色々と検索したのですが…私の場合、京都~長浜の単純往復(1320円×2=2620円)より安くて使い勝手が良いキップはあるんだろうか…と。パッと見には金額的にクリアする商品が無かったのですが

ありました◎しかも、見つけたのは出発の1週間前。

f:id:boozy:20160308113233j:plain

「冬の関西1デイパス」
この広大なのJRが1日乗り放題で3600円。北は福井県敦賀駅、東は三重県柘植駅、南は和歌山駅、西は兵庫県の上郡まで。端から端までの片道運賃だけで元が取れる感じです。

見つけた当初は「なんだ3600円じゃ単純往復の2620円より高いし使えないな。」と思ったのですが、この周遊券の凄いところは、JRに加えて私鉄線が提供する乗車サービス区間や付帯サービスがセットに出来ているところです。よく見ると京阪電鉄が提供するサービスに「竹生島クルーズ」が含まれているじゃないですか!

ノーマル購入:JR2620円+観光船3070円=5690円
冬の関西1デイパス:込々3600円

2000円も安く目的地まで往復できるなら買うしかないですね。
しかも発売期間と利用期間は2月28日まで、自分が行ける日程もピンポイントで2/28!!残り物に福、とはこのことでした。

---

f:id:boozy:20160308113322j:plain

先日の記事に「日吉大社廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた」と書きましたが、ここ竹生島の宝厳寺も弁財天を本尊として祀っていましたので神仏分離令の矛先が向き、廃寺して都久夫須麻神社という神社に改めるよう時の政府から指示が出ました。しかし、宝厳寺の抵抗、多くの信者からの要望によって宝厳寺と都久夫須麻神社を併存させるという折衷案が認められたのです。

本尊や建物は残り、神仏の区切り線だけが変更させられた、という処置で事なきを得たわけです。日吉大社とは対照的な歴史。現在の竹生島(都久夫須麻)神社本殿は元々が宝厳寺の本堂で、祭神も市杵島姫(弁財天と習合した記紀の神、スサノオとアマテラスの誓約で生まれた3女神の1柱)ですので区分けはされたものの従来通りの信仰対象が保たれたと言えるでしょう。宝厳寺と竹生島神社は別の宗教法人ということになっていますが、国の重要文化財に指定されている「船廊下」と呼ばれる渡り廊下で建物が繋がっていて、不二の関係であることを体現しています。

下記が両寺社ウェブサイトURLですが、まあその、仲良しぶりが窺えるわけです。
(宝厳寺) http://www.chikubushima.jp/
(竹生島神社) http://www.chikubusima.or.jp/


国宝や重文が豊富な孤島の信仰地、見応えがある島ですので近くにお立ち寄りの際には渡航してみてはいかがでしょうか…。

廃仏毀釈は暴動だった--- 4組の八王子

もう一度、日吉大社を訪れる必要がありそうです。

八王子という地名の由来について調べていて、その「8人の王子とは誰なのか、誰の子ども達なのか」という疑問が湧いてきました。追ってみると少なくとも4組の八王子が在ることが判り、各々には関係があるのかどうか、地名や寺社の由来となった8人の王子とは一体「どの王子たちだったのか?」気になりだして資料を読み漁り始めました。

 

f:id:boozy:20160226171435j:plain

昨年、滋賀の大津市に在る日吉大社を訪れました。日本各地に数ある八王子という地名の中で最も強くその所以を残しているように思ったからです。日吉大社は大社と言っても1つの大きな社が在るのではなく、八王子山の山麓に散在する主要7社を含む約40社の総称が「日吉大社」となっています。

また、日吉大社の境内には八王子に関係する社もあります。
明治政府による神仏分離令が発布される以前の旧称にそれは有り、現在の牛尾宮は「八王子」と称され、八柱社は「下八王子」と称されていました。牛尾宮には「山王八王子」と彫られた石灯籠が現在も残されています(写真は昨年訪問した際のものです)。

---
1868年(明治元年)12月、今から150年ほど前、神道の国教化を目指す明治政府は神仏を混淆することを禁止します。分離令は一回の官報ではなく、複数回にわたり発布され、その発信元も太政官であったり、神祇官事務局であったりと、一つではありません。つまり慌てて発令していた、あるいは政府側でもまとめ切れていなかったと言えます。

有名な官報は慶応4年3月28日に神祇官事務局から発せられた以下のものでしょう、

「一、中古以来、某権現或ハ牛頭天王之類、其外仏語ヲ以神号ニ相称候神社不少候、何レモ其神社之由緒委細に書付、早早可申出候事、但勅祭之神社 御宸翰 勅額等有之候向ハ、是又可伺出、其上ニテ、御沙汰可有之候、其余之社ハ、裁判、鎮台、領主、支配頭等ヘ可申出候事、

一、仏像ヲ以神体ト致候神社ハ、以来相改可申候事、附、本地抔と唱ヘ、仏像ヲ社前ニ掛、或ハ鰐口、梵鐘、仏具等之類差置候分ハ、早々取除キ可申事、右之通被 仰出候事」

神社に於いて仏像をご神体としてはならないこと、仏教関連の設備、備品を排することなどが書かれていますが、特に冒頭、仏語を使用した神号は禁止とし、権現と牛頭天王に至っては名指しで神として扱うことを禁止すると言明しています。権現とは仏が日本の神の姿になって現れたものとする本地垂迹説に根差す神号。牛頭天王は仏教における神で祇園精舎を守護する存在であり、疫病を司る神ともされます。そしてこの牛頭天王には8人の王子があり、この八王子が東京都八王子市の地名由来の大元になっています。牛頭天王の不運は呼称のそのサウンド(てんのう)が天皇と同じであった事でもあり、徹底的に排除の対象とされました。
八王子市の名前の由来|八王子市

牛頭天王神仏分離令が発せられる以前、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と習合したり、蘇民将来の伝説に登場する武塔天神と同一視されたり、陰陽道に於いては天道神と同一視され、つまり非常に人気の高い神様だったのです。祇園信仰牛頭天王がその対象でありましたし、八坂神社の前身「祇園社」の祭神牛頭天王でありましたが、神仏分離令によって素戔嗚尊に挿げ替えられ、社名の変更も余儀なくされたのでした。

---

f:id:boozy:20160226170053j:plain

日吉大社に話を戻します。

日吉大社比叡山の北東側にあり、天台宗開祖の最澄が建立した延暦寺と深い関係を持っています。最澄延暦寺を鎮守する地主神として日吉社を据えたのです。最澄は更に奈良の三輪山から大物主神(おおものぬしのかみ、大国主と同一神でもある)を勧請し、元来の祭神である大山咋神(おおやまくいのかみ)の2柱を合わせ「山王」と称しました。山王という言葉自体、最澄が日本に持ち込んだ概念です。その後、天台密教と日吉信仰が混淆して各地の日吉神社日枝神社、山王、八王子社などとなって全国に広がり、その数は3800を超えています。

その後も天台密教と日吉信仰が結びついた山王神道という新しい神道を「延暦寺」が生み出します。「延暦寺が」です。仏教が日吉権現、山王権現という和製の新しい神を生み出したのです。
(それほどに神仏が習合した時代もあったわけです。)

神仏分離令には神社に据えられた仏像、仏具を破壊せよとは書かれていないにも関わらず、激しい廃仏毀釈の動きが巻き起こります。その最初に破壊行動の対象にされたのがここ日吉大社です。往時、神社は実質的に寺勢によって支配されていて、神官側の鬱憤も背景にあるようです。

日吉大社で起きた破壊の様子はこちらのブログ良記事に詳しくまとめらていますのでご参照ください)


比叡山延暦寺は奈良の興福寺とともに南都北嶺と呼ばれ、為政者に恐れられるほどの存在でした。その強大さ故に織田信長によって焼き討ちされた過去はあまりにも有名です。その支配下にあった日吉大社廃仏毀釈の矢面に立たされたのは歴史的な封建構造への怨念があったからなのかもしれません。

f:id:boozy:20160226172029j:plain

日吉大社神仏分離令廃仏毀釈を受け、それまでの宮や社の名称を変更します。日吉大社のオフィシャルサイトにはこの変遷に関する記述が無く、宮名だけの変更だったのか祭神の挿げ替えも伴っていたのかが不明です。しかし祇園社(現八坂神社)が牛頭天王から素戔嗚尊祭神を遷移させたことを考えると、同様のことがあったのではないかと私は思っていますが、これについては、冒頭に記したよう、日吉大社を再訪して確認させていただくしか方法が無さそうです。そしてそこで旧社名である「八王子」と「下八王子」の祭神が誰だったのかも明らかになるはずです。

---
神仏分離令廃仏毀釈のうねりは、近代化を進めようとする明治政府イデオロギーとして王政復古を求めた国学者らとの間に溝が生じ、数年で形骸化し、頓挫します。

この歴史的には瞬間のような短い期間に破壊された文化遺産、歴史遺産を思うと少々気が重くなります。日本史の授業では「神仏分離令」と「廃仏毀釈」はセットで説明されますが、国からの達しと、その拡大解釈によって起こった一種の「暴動」は一線を画すものだったのだと勉強になった次第です。


---
4組の八王子については別途また記事にしようと思っていますがどの4組なのかだけは記しておきます。

牛頭天王の八王子
スサノオとアマテラスの誓約によって生まれた8人
スサノオクシナダヒメの間に生まれた8人
妙法蓮華経に登場する日月燈明仏の8人の王子

iPhone4 から iPad mini4 へ

iPhoneを初めて購入したのは「4」。
この端末は「スマホ」という言葉に先駆けて「進化した通話できるPDA」として爆発的に売れたように記憶しています。あえてPDAという言葉を使ったのは、デバイスフリーク(当時の少し前、パームやWindows Mobileといった小型PCツール機器のファン)、往時に流行していた電子手帳の市場を一気に注目させたように思うからです。

以降、4S、5と買い替えましたが、5Sへの機種変更を見送ったのは6への期待。
…でしたが、6も6Sも小生の触手が伸びるような端末ではなかったため手元のiPhoneは「5」のままです。(大画面化と、なんといっても丸みを帯びたフォルムがダメでした)

Appleの新製品が発表された後、板では地味に発表された「iPad mini4」が話題になってました。
mini1~3のラインナップには正直、惹かれるポイントが少なかったので買うには至らなかったのですが、今回の発表で少し状況が変わってきました。さらに通信環境の変化もiPad mini4購入に大きな追い風となります。

…その変化とは格安SIMの勃興です。
端からWi-Fiモデルは買う気が無かったので、この環境変化は大きいです。

 

手元のスマホ2台はいずれも大手キャリアから卒業して関西電力系のmineoで運用中、iPad mini4    用に高速通信3GBのデータSIMを追加しても月額1000円未満で利用可能です。さらに昨年、mineoはau系SIMでけではなくdocomo回線のSIMも取扱を開始します。

au系の格安SIMはアップル端末との相性がイマヒトツで、使えない機種、サービスが存在する鬼門です。docomo系SIMならアップルSIMフリー端末との相性はパーフェクト。

これは…

心斎橋のApple Storeで実機を操作、その場で購入しました iPad mini4。


なかなか周辺用品などが発売されないニッチな端末だと感じていますが、iPhone4を購入した時に感じた「神機」的インパクトは数か月使った今も褪せていません。

七福神とロックフェス

振興を兼ねて七福神巡りを設定している地域やエリアは多い。実際に先日自分が詣でた井の頭弁才天も「武蔵野吉祥七福神」に列せられており、御朱印収集用の専用色紙も準備されていて、さながらスタンプラリーのように巡る方も少なくないのだろうなと思った。

連休の中日に初詣を兼ねて都内近郊の弁才天巡りをしてきたのですが、三が日も終わったし、という自分の読みは甘く、多くの参拝客が各社に詣でていました。


音楽フェスの醍醐味は名うてアーティストのライブを一気に見れることであり、昨今のバンドのカセット化、コンテンツ化が著しく進むなか「誰々のライブを見に行く」というよりも「何々のフェスへ行く」の方がライブ体験の主流になってきているように思えなくもありません。

七福神巡りが各々の持つメイン御利益を束ねて短期間に結願を果たすように、音楽フェスは各々の出演者が持つ十八番の曲や旬な曲を30分程度のリストにまとめて次から次への聞かせてくれて1日のイベントが終わる。

その組み合わせを楽しむ音楽ファンが増えたと思う。
誰かの音楽を主食とするバンドフリークより、バイキング料理のように自分の「好きなモノ」でタイムテーブルをキュレーションすることを楽しんでいる音楽ファンが増えた、と。

そこには供給側のスタンスも影響しているように思う。
従来、ことロックに限って言うと、リスナーの時空間的な鑑賞範囲がとても広かった気がするのですが(例えば自分が好む音楽を表現するバンドに出会うとその彼らが影響を受けたバンドまで掘り下げたり、似たようなバンドを物色したりしたものでです)、今は、テンポラリーなスタイルが先行して、それをリアルタイムに実体験しようする若年層に向けられて作られているために「自分たちらしさ」に先鋭的なバンドばかりが次から次へと量産されている。

その量産された「らしさ」を飽きないようにバランスさせて様々な音楽を聴く層が今のバンドブームを支えているのだと感じています。

才能、タレント性を持つアーティストも少なくありませんが、生産側の体制もメガヒットを飛ばさなくてもキャッチーでそこそこの独自性を持っているバンドであればプレスする時代。大手CDショップのJ-POP、J-ROCKの棚を見ると「潮だまり」のようにそれが見て取れる。アーティストやバンドにとってはチャンスが広がった状況と言えなくもないですが、長きに渡ってシーンに残るためにはタフな時代なのかもしれません。

(この状況は創作者側への負のバイアスになりつつもあるな、と思っているのですが、長くなるのでその話は割愛します)


今年、13の社寺を巡ることにしましたが、そのうち3つをこの連休に廻り終えたので早くも関東に設定したマイ札所巡礼は終了、次は関西エリアへの巡礼になります。

f:id:boozy:20160112133532j:plain

ヒンズー教の女神とコーヒー

今年、1年を掛けて12の寺社を訪れる予定にしている。
既存の四国遍路や西国巡拝ではなく自分でテーマを決め選んだマイ巡礼とでも言うか。

---
12寺社の広島は宮島に在る大願寺について調べているいて面白いカフェを見つけたので残しておきます。

---
12寺社の共通テーマは弁才天を祀っていること。

弁才天は仏教の神であるが、記紀に登場する「イチキシマヒメ」と習合して信仰が全国に広まる。(弁財天と表記し商売繁盛、財産保護の神とされるのは後代のこと)

市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)はアマテラスとスサノオの間で取り交わされた誓いの儀式の中で生まれた女神3柱のうちの1柱であり、福岡県の宗像大社、辺津宮に祀れていて各地に勧請されている。

大願寺そばに在る世界遺産厳島神社の「イツク」と「イチキシマヒメ」の「イチキ」は同じ「神に仕える」という意味の異音表現であり、実際に厳島神社祭神に市杵島姫は列せられている。

さて、その厳島神社の近所に在るカフェ「サラスヴァティ」。
その名前の意味はヒンズー教で芸術学問の女神そのものであり、そのサラスヴァティを仏教が守護神として取り込んだ際に付けた名が弁才天である。

つまり、厳島神社のルーツの名前を使っているのである。
なんともお洒落な名付け方だ。

宮島を訪れた際にはコーヒーを御馳走になろうと思う。

宮島で自家焙煎コーヒーを供するカフェsarasvati